まさるさん 靭帯断裂からの軌跡

全く持って私事ではあるが、今後誰かの役に立てればと思い、以下に記そうと思う。
※思い出すこと徒然なるままに書いているので話が飛んでます。


<内側側副靭帯断裂>
2007年8月26日、それは起こった。
あるバレーボール大会に参加し、その1試合目。
十分なアップも無いまま始まった試合。
「まぁ試合やりながら温めていけば・・・」と気楽にやっていた。
が、やや押され気味な状況になってしまった。
ここで一発、思いっ切り打ってやる!と偉そうにもトスを待つ。
そして、トスが上がってきた。やや短めのボール。まぁなんとかなるやと思い、打った。
しかし、難なく取られてしまった。。。
が、着地した次の瞬間!、左ひざの関節が左右にズレる感触があった。そして「チッ!」と音も鳴った。
一瞬の間なのに、「あれれ??これってひょっとしてやばい?!やな感触だぞ、この後どうなる?!」と
頭の中で考えた自分がいた。
気づいたらコートに倒れていた。そしてすぐさま左膝に激痛が走った。
かな〜り痛い!さすがに泣きはしないけど。でも、激痛激痛っ!
でも、周りは気づいていないのか試合はラリーの状況。。。おいおい、試合止めてくれよ、審判・・・。
しばらくしてラリーは終わった。でも尚まだ痛く、なんにも動けない状態であった。
そして、ここでまた冷静な自分がおり、うずくまったままの状態で、、、
「このままどうなる?来月試合あるのに大丈夫かなぁ?いや、、、待てよ、その前に明日会社は行けるか?
 どうする?!どうすんのさぁ、おれ!」と考えていたのだ。
そうしている内に人が集まってきて、「足首やっちゃった?」「骨折?!」「どこ?」と聞かれ、
「・・・ここ、こ、ここ、膝、左の膝」と言って、取り合えずシューズを脱がしてもらい
自力ではいつくばってコートの外へ出た。しばらくすると車椅子と氷がきた。
この時は、もう痛みはひいていた。支えてもらいながら車椅子へ。
しばらくすると、他チームに整形外科医の人がいて、医務室で診てもらった。
まず、立てるかどうか、、、立てた。
屈伸ができるかどうか、、、できた。
痛みはひいたか、、、ひいた。
車椅子の必要は無いと判断され、歩いて体育館に戻ることにした。
が、しかしその途中、左膝が「グニャ」と内側へ曲がる感触があり、やっぱダメだと思い
再び車椅子を使うことにした。そして、とりあえず病院へ行かないと、とのことで
他チームの整形外科医の人が、勤め先である病院を手配してくれた。
で、緊急性はそこまで無いかなと思って、試合が終わるまで待ち、
その手配して頂いた病院へ、同チームの女子メンバー二人に支えてもらいながらタクシーで向かった。
、、、病院到着。そして順番を待つ。
しばらくして、自分の名前が呼ばれ、診察室へ。
状況を色々説明し、まず触診。この時、靭帯は痛くなく膝裏の左側の筋が異様に痛かった。
曲げ伸ばしをしたが痛くは無く、その膝裏の左筋だけが痛かった。
診断の結果、足首を捻挫した時のような状況で靭帯は切れていません、と言われた。
ホッと一安心。これなら1ヶ月くらいで復帰できるかな、、、。
そして、念の為レントゲン撮影をした。結果、骨には異常なし。
緊急処置として、膝が曲がらないように固定してもらい、松葉杖を借り、
家からこの病院へは通えないので紹介状を書いてもらうことにした。
で、支払い。保険証なんざ普通は持ち歩く訳もなく、もちろんこの日も持っておらず、
お金もある程度しか持っていない。
さて、どうしようかと悩んでいたが、同行してくれた女子メンバーの一人が
大金を持っていたので、借りることにし支払いを済ませた。助かった。
で、松葉杖で帰宅することになった。
病院から駅まで少々距離があったので、タクシーで最寄の駅まで。
駅到着。ここからが大変であった。時は、真夏!少し動くだけで汗が出るというのに、
松葉杖歩行なんてなると、さぁ大変!
改札からホームに行くまでの間で、汗だくになり着ていたTシャツもビショビショ。。。
そして自宅まで女子メンバー二人に付き添ってもらい、なんとか帰宅した。かなりありがたかった。
で、立て替えてもらった治療費を返す為、家中のお金をかき集め、なんとかその場でお返しできた。
女子メンバーが帰った後、とりあえず汗だくのTシャツを着替え、荷物の整理をし、ひとまず落ち着いてみる。
落ち着いたところで、まぁ一杯やるか、と思い適当なつまみを探し麦汁を飲んだ。
さらに落ち着いたところで、自宅から最寄の整形外科をネットで検索。
いくつかあった中、駅から近いとこに決めた。明日、ここに行ってみよう、と。
そして当日。
会社にお休み連絡をし、松葉杖をつきながらいざ病院へ。
思った以上に診察を待ってる人が多く、満席状態であった。しかもほとんどがジジババである。
1時間半以上して、ようやく呼ばれ、診察室へ。
「あら〜、どしたの?膝やっちゃった?」と聞かれ、「えぇ、はい。昨日バレーの試合で・・・。」
と、色々説明し、まず緊急処置として固定していたものを取り、触診。
やはり今日も膝裏のスジが痛く、「この辺が痛いです」と告げ、
そして、その時に膝がズレたことも告げた。が、その瞬間!「ズレたぁぁぁ????」と驚かれ、
すぐさまベットに寝かされた。
で、昨日の病院で触られていないところを触られたり、色々な曲げ伸ばしをされ痛みが走った。
そう、内側側副靭帯である。
先生が「膝裏のスジに負傷があるみたいなことを紹介状に書いてあったけど、これはちょっと違うねぇ」と言った。
で、膝が腫れぼったく水が溜まっているとのことで、水抜きをすることになった。
この時に先生が「血が出たらアウト!黄色っぽい液が出たらセーフ」と言い、水を抜き始めた。
「おぉ〜、こりゃすごいねぇ。どんどん出てくるねぇ」と言い、実際に抜いたモノを見せてくれた。
結果、血であった。アウトである。靭帯断裂決定!
しかも、血液の中に油っぽいものも浮かんでおり、これは軟骨骨折をしてる証拠だと言われ
同時に軟骨骨折決定の瞬間でもあった。
ちなみに、抜いた量45cc。そして、直接膝に「グルコミンサン」を注入した。
そうれはそうと、昨日の診断とえらい違うじゃん、これじゃしばらく復帰は無理じゃん、と肩が落ちた。
そして、しっかりとギブス固定され、1週間後にまた来てくださいといわれ、帰宅の途へ。
でも、まぁ、そのままにしておかないでちゃんと診てよかったと自分を慰めた。
が、これからいくつもの苦しい試練が待ち受けてるとは、知る由もなかったのである。


<ギブス生活>
2007年8月27日。
今日からギブス生活が始まった。
初めは、松葉杖なんて慣れれば、なんとかなるさっ!と少々楽観的だったが、
人生、そう甘くはなかった。
〜初日〜
会社へ行くのにいつもより30分ほど早めに出る。
案の定、家から駅まで7分のところ15分ほどかかった。
ちなみに、時は真夏なので、当然松葉杖で15分も歩けば、朝でも汗だくである。
ホームに着いた頃は、汗が止まらない。。。
そして、電車へ乗り込む。もちろん優先席へ。
少し早い時間の電車は、ある程度空いているものである。
優先席が空いていたので座った。ここであることに気づく。
膝が曲がらないようにギブスをしている為、座ったら少々通路に足が飛び出してしまうのだ。
おれの足に気づかないで歩いて蹴られた時には痛ぇんだろうな、と思った。
そして、乗り換え。。
改札を通るのにも一苦労である。
両手は松葉杖、どちらかの手に定期を持ち、改札を通る時、ワキで松葉杖をはさみ
そっちの手で「ピッ!」と定期を改札に当てる。これを瞬間的にやるのだ。
この一芸が終わったと思いきや、次は乗り換えホームまでの道のり。
いつもなら階段を使ってすぐなのが、階段は無理なので、エスカレータかエレベータを探す。
結構、遠くにあった。もちろん、また汗だくになった。
そんなこんなで会社の最寄駅に着いた。
駅から会社まで徒歩12分なのだが、この状態で行くとなると30分はかかると思い、バスを使った。
そう、会社のそばにバスが通っているのだ。普段は気にならなかったが、こういうときはありがたく感じる。
そして、会社に着き、みんなに驚かれた。
そりゃそうだ、先週までは何事もなかったのが、週が明けて松葉杖をついていたら驚くのは当然だ。
いろんな人から色々と聞かれ、その都度答える。ある種、人気者みたいなものだ?!

-----ギブス生活記一時中断-----



<MRI>
2007年9月18日。
人生2度目のMRIである。
1回目は、左半分顔面神経麻痺になり、脳に異常が無いかどうか調べるのにMRIを撮った。
その時、千切りのように脳を77スライスされた。ちなみに、この時の結果は異常なしでありました。
もし異常(影)があれば即入院&即手術だったそうです。よかったよかった。
で、本題。
前日、半分に切られたギブスを取り外し、MRIの台の上に寝る。
そして、何か固定器具のようなもので膝をサンドされた。
これが結構きつくて圧迫される感じがして膝が心配になった。
しかも初めに膝を挟む際、身まで挟まれそうになり
「先生、い、痛い。」「きつい?膝が痛い?」「いや、に、肉も一緒に挟まれてる・・・」
「あーごめんごめん(笑)」・・・笑いごとではない。。。
で、いざ、撮影へ!
台がジワジワとMRIの中に移動していく。
MRIを撮ったことのある人なら分かると思うが、撮影中は一切動いてはならないのだ。
微動たりともしてはいけない。その時間、30分。
これが、かなりキツイ!30分微動たりともしてはいけない。
そして、撮影中のMRIは非常にうるさいのである。
ビービービービー、コンコン、カタカタ、トントントントン・・・・。
様々な音が交錯する。
そして長い長い30分が過ぎ、ようやく撮影終了。
ここでは、MRI撮影のみで、次の日にいつものところで診断となっているため、写真を片手に会社へ出勤した。
会社へ着き、先ほど撮ったMRIを見てみる。
んー、わけわからん。なにがどうなっているのか。。。でも、おれの脚はこうなってるのかぁ、と感動した。


<脱ギブス>
2007年9月19日。
やっと、この日がきた。
前日に撮ったMRIを診てもらい、靭帯は大丈夫であった。が、半月板に少々亀裂が入っていた。
特にギブスの必要はないので、脱ギブスということになった。松葉杖も片方だけ。
そして、サポーターをすることになった。
で、次回からリハビリを開始することになった。
この日から早速、松葉杖は片方だけで良いと言われたのだが
全然左足に力が入らず、なかなか上手くは歩けなかった。恐怖心もあった。
仕方ないので、いつも通り両手で松葉杖をつきながら帰った。
たまに恐る恐る左足を地に着けたりしながら。
そして夜、風呂に入り1ヶ月もの間洗われなかった足を洗った。
気持ちよかったぁ。あ、言っておくが特に臭くはありませんでした。
が、思いっきり鼻を足に近づけて臭えば「うっ!」ときたかも知れないが。
ふと、左右の足を比べてみる。
愕然とした。やはり、1ヶ月も足を使わなかったから、かなり細くなっていた。
リハビリ大変だろうな、と感じた。


<リハビリ開始>
2007年9月26日。
今日からリハビリ開始だ。
まず、SSPという機械で内側靭帯に電気を10分ほどあてる。
そして、運動療法。この時、どこまでの回復を望みますかと聞かれ
バレー復帰できるまで、と答えた。これによりリハビリ内容が違ってくるらしい。
で、、、まず、軽くマッサージをし、膝を曲げていく。
長い期間、膝を伸ばしたままの状態であったので、これがなかなか曲げることができない。
この日は90度がやっと。そして逆に真っ直ぐピンと伸ばすこともできない。
曲げ伸ばし訓練の後、運動をしていく。運動といっても寝たままで筋トレみたいなことをしていく。
まず、仰向けになり、、、
膝を胸につけるように、負荷をかけながらやる訓練。(この逆も)
足を伸ばし、負荷をかけながら上にあげていく訓練。(この逆も)
両足を閉じた状態で負荷をかけながら左足を広げていく訓練。(この逆も)
負荷をかけながらつま先を伸ばす訓練。(この逆も)
そしてうつ伏せになり、足を伸ばし負荷をかけながら曲げていく訓練。
これらを毎回やっていく。

さすがに初日はまったくといっていいほど、力が入らなかった。
ちなみに、太股の左右差4cm以上であった。ショック・・・。
で、家でも毎朝毎晩足上げ訓練(大腿四等筋訓練)をするように言われ、毎朝毎晩やることにした。

リハビリ開始1週間は、病院で専門的なリハビリをするので若干満足していたが
家で一人でするのにあたり、このままじゃなかなか前へ進めない、物足りないと思い、足につける重りを購入した。
3kg(片方1.5kg)のやつを。それを足につけ、筋トレをバージョンアップさせた。
でもまだ、サポーター&松葉杖は手放せない状態である。。。
松葉杖なしで歩こうとすると、筋力がかなり落ちているせいか、全く歩けない。。。
左足だけ、生まれたての馬状態であった。
がんばれ、おれの足!


リハビリ開始から2週間経ち、ようやく松葉杖なしで歩行できるようになった。
でもまだサポーターは手放せない。
普通に歩こうと思っても、やはりびっこをひいてしまう。
いつになったら普通に歩けるのだろう???


そして、3週間4週間と過ぎ、ようやく普通に歩くことができるようになった。
でもサポーターは手放せない。が、、、外すことにした。
いつまでもこれに頼ってては前には進めない。そう思い外すことにした。
歩いてみる。。。なんだかぎこちない感じだ。
不安を抱えながらだが、しばらくは慣らす為、これで生活してみよう。

2,3日サポーターをしない生活をしていたのだが、つけている時と違って
少々膝に負担がかかってしまったようで、痛くはないけど違和感がでてきた。
これで治りが遅くなるのがやだったのでまたサポーターをつけることにした。
そして会社では、毎日昼休憩になると、MTGスペースで筋トレをすることにした。
筋トレバージョンアップ時に購入した重り1.5kgを足首につけ
椅子に座って膝を伸ばしたまま水平に上げ5秒静止し降ろし、の繰り返しをしていく。
これを回数でなく時間ですることにした。その時間、3分×3セット。
これが結構、キツイ。。。
でも、またバレーをする為にこれしきのことやらねば!
がんばれ、おれの足!


<復帰初練習>
2008年10月
まだ充分ではないが、ギブスが取れ普通に歩くこともできるようになり
体がウズウズしてきたので、練習に出ることにした。
無理はしないよう2割〜3割程度で。
テーピングをしサポーターをつけ、いざコートへ。
やはり思うようには動けず、なんといっても左足に力が入らない。
、というか力を入れてるのに踏ん張りがきかない。
まだまだ筋力が足りないことをつくづく痛感させられた。
でも、(初心者の方に失礼かも知れないが)初心者並の動きはできていた気がするので
まぁ満足満足。痛みもなし。

その後、バレー馬鹿で育ってきた自分としては、じっとはしていられなかったので
リハビリという意味も兼ねしばしば練習に出ることにした。
まだ無理がきかないので、あえてテーピングで膝をがっちり固定させサポータもして。
これがまた、がっちり固定しているもんだから、動きが少々おかしなことになってしまう。
まぁ再発するよりマシなので、見た目おかしくても、今はガマンガマン。痛みもなし。
がんばれ、おれの足!


<久しぶりの診察>
リハビリは週1で通っていたのだが、気になるところがあれがリハビリ中に診察してもらえるということで
経過報告を兼ね診てもらうことにした。
水も溜まってないし問題ないということだったが、まだまだ足の太さに左右差があるので
筋トレをするように言われた。あと、ジャンプ禁止だったので、この日改めて聞いてみた。
そしたら、飛んでもOKといううれしい答えが返ってきた!
が、もちろん、いきなりではなく徐々に慣らしていくようにと言われた。左片足着地はNG。
よし、これでバレー復帰へ一歩前進だ!!


<復帰戦>
2007年11月11日
ある区の大会があり出ることにした。
思うように飛ぶことはできないが、初心者並には動ける。
当初、試合人数が足りなかったので助っ人さんも入れての試合になった。
いざ、試合。2セット目から出ることになった。
内心は1セット目から出たかったが、仕方がない。。。
試合になると、ついつい無理をしそうになる。が、そこは抑えて3割程度で。
助っ人さんのお陰もあり難なく勝利。
次の試合も2セット目からの出場。結果、難なく勝利。
そして決勝戦へ!
1セット目を落とし、2セット目へ。よし、ちと頑張ってみよう、足を引っ張ってしまうかも知れないが
できるだけ動いて力になろう。。。。。が、しかし2セット目もベンチのまま。
そのまま一度も出番は無く、試合終了。
やはり、充分に動けないと試合には出れないのかな?
助っ人さんを出した方が勝つ確率は高くなる。。。でも、これは自分たちの試合。。。。。
でもでも、仮に出ても足を引っ張るだけだったのだろうか?
でも、なぜ出れない?やっぱり怪我してるせい?!
でも、でも・・・・・、、、
周りのみんながすごく楽しそうに試合をしているのを見るのが辛かった。
正直、その場から逃げ出したくなった。

自問自答しながら、なんとなく自分で自分を説得した。
これもひとつの試練。
きっとまだガマンの時期なんだよ・・・・・。



<社内ソフトバレー大会>



<再発?>
2008年2月
いくつかの区が集まってする大会があり、それに出ることになった。
この試合の前週、仲の良いメンバーと一緒に区の体育館で個人開放しているところへ行き練習に励んだ。
サーブカット、レシーブ、そしてアタックと、まだまだ100%ではないが、そこそこできるレベルまでできるようになっていた。
その仲の良い人も褒めてくれた!まだまだ充分じゃないかも知れないけど、アタック打ててたしいい感じだよって!
自信が持てた。前回の試合のようにはならいぞ!と。
そしてその試合だが、相手はおじさん主体のチームだった。
メンバーは、ほぼ前回のままだが、人数的にギリギリだったのでフルで出れることになった。
ポジションは怪我前の時と同じレフト。
で、おじさん主体の分、バレーを良く知っており、アタックを打っても打っても、ブロックアウト狙って打っても拾われる。
焦った自分はついつい怪我前の動きになってしまい、アタックの着地の際、左足で着地してしまった。
その時、左膝下左側面付近から「ポキッ」と音がなった。指の関節を鳴らすときのような音。
ちょっと痛かった。テーピングをしっかりしていたからそれだけで済んでいたかも。
というのも、着地したときグッっと前方へテーピングで支えらた感じがしたからだ。
もししていなかったら、前にもっと体重が掛かり前十字靭帯を損傷していたかも知れない。テーピング万歳!
でもそれからというもの、少々怖くなりレフトからライトへ代わってもらった。
試合は負けたがいい経験をさせてもらった。
自分の今のレベル、今後のリハビリの進め方など。

そして翌日、もっともっとバレーがしたい、もっともっと動けるようになりたい、
そう思い、昼休憩筋トレにメニューを追加した。
スクワット20回×5セット
レッグエクステンション(1.5kg)×10分
レッグカール(1.5kg)×5分

で、その日なのだが、仕事終わりが終電ギリギリになってしまい、駅まで猛ダッシュ!
昨日の試合で、少し痛めた足をかばいながら。
なんとか間に合い電車には乗れた。この時は、特に膝に違和感はなかった。
が、家に着き左足を見てみると・・・・・・・、パンパンに膨れ上がっていた。
あれ?!これ、やばくねぇ〜、、、シップシップと思い家中探すが見つからない。
シップは一応医薬品?!なのでコンビニには売ってないだろうなと思ったが
行ってみなきゃ〜わからない、とコンビニへ行った。
案の定、シップは置いてなかった。代わりに冷えピタを購入。
家に帰って早速、患部へ貼り就寝。。。
翌朝、腫れはひいてるかなと見てみたが、全くひく気配無し。歩くのにも何か膝に乗せてるような違和感が。
折角の筋トレもお休み。
その後、2日経ってもひく気配がないので、病院へ行くことに。この時、膝のお皿がわからないくらい腫れてました。
で、診察してもらい、いろいろ事情を説明すると、、、
「会社から駅までノンストップで走ったのが悪かったね
 これは水が溜まってるよ、漢方薬を1週間分出すから飲んでください」
と言われた。
「水は抜かないんですか?」って聞いたら
「大抵のところ(医者)は抜くかもしれないが、ウチはよっぽど溜まらないと抜かないよ、
クセになるし、水を抜く際に注射針から膝にばい菌が入った時の方がよくないからね」
これを聞いて、おぉなんとも患者思いの先生なのだ、と思った。
そして、漢方薬を飲むこと1週間、見事におれの足は戻ってきた。よかったよかった。
筋トレも再開。
またがんばってくれよ!おれの足!



<復帰第2戦>



<復帰第3戦>



<靭帯断裂から1周年>
2008年8月26日、
内側側副靭帯断裂から1年が経った。
今も尚、たまーに若干の違和感はあるが、特に気になるものではなく
日常生活に全く支障はきたしていない。
が、しかし雨が降る前日、必ずと言っていいほど左膝が痛くなる。
いつの間にか天気予報膝になってしまったようだ。
今現在、バレーボールはやっていない。。。。。


<もっとがんばれ!>
2009年7月某日、久しぶりな人に会った。
その人もバレーをやっていて、バレーバカな人だ。
聞いてみると、その人も怪我持ちになったらしく、でもバレーを続けているという。
ただやはり、以前のようにはできないみたいだ。
でも、なんだか力をもらった気がした。
おれもがんばらねば。
がんばれ、おれの足!がんばれ、おれ自身!
そして、その人もがんばれ!



徒然なるままの続きは、また今度。